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銀貨の世界史     世界史小ネタ 第95回 

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妖しい光沢を放つ金と銀は適度な希少性から、古代から貨幣として利用されてきました。とくに銀は金よりも珍重され、かつては金に銀メッキが施されたほど。スペイン語で貨幣は「プラタ」(plata)と言いますがその本来の意味は「銀」。フランス語の貨幣「アルジャン」(argent)も元をたどれば「銀」でした。
 

初めて貨幣が鋳造されたのは、紀元前7世紀ごろのリディア王国(現トルコ)。ギリシアの諸都市もこれにならいました。前487年にアテネの郊外でラウレイオン銀山が発見され、奴隷たちによる採掘が軌道に乗ると、ドラクマ貨はたちまち地中海沿岸に広がり、アテネ全盛の原動力になりました。
 

第1次ポエニ戦争でシチリア島を失ったカルタゴは、イベリアに拠点を移します。負け将軍ハミルカル・バルカはここで銀山を開発し資金を蓄え、来るローマとの戦いに備えました。その子ハンニバルの活躍で、一時劣勢を挽回したものの、カルタゴはやがてローマに滅ばされ、地上から姿を消します。
 

ローマ時代。イベリア半島の銀山は帝国の軍事費を支える生命線に。今も残る南部のセビリアから北部のヒホンに至る道は「銀の道」と称されました。しかし、3世紀なると資源は枯渇し水増し銀貨が横行。ローマの経済力の衰えが誰の目にもあきらかになりました。

中世のはじめ、ビザンチン帝国で使われていたのはコンスタンティヌス1世のころに作られたソリドゥス金貨(Solidus)。ソルジャー(戦士、soldier)という語は、「ソリドゥスのために戦う者」という意味だとか。しかし地中海交易が盛んになると、銀は対価として欠かせないものに。
 

この需要に答えたのがドイツの銀山でした。諸侯争奪の的となったゴスラール銀山をはじめとして、15世紀末にはザクセンだけで30近い鉱山が掘られていたとか。横坑採掘などの技術の進歩で銀の生産額は年々増大し、15世紀末にはピークに。これに目をつけたのがアウクスブルグのフッガー家でした。
 

ヴェネチアとの交易で富をたくわえたフッガー家でしたが、チロルの銀鉱山やハンガリーの銅山の経営権を取得すると、それを元手に、ローマの教皇庁にくいこみ、利権をほしいままに。ハプスブルク家や大司教、諸侯たちにも高い利子で貸しつけをおこない、莫大な利益をあげました。
 

やがて銀生産の中心はボヘミア(現チェコ)に。なかでもヨアヒムスターレル(ドイツ語で「ヤコブの谷」)は当時最大の銀山でした。 ここで鋳造されたターレル銀貨は19世紀まで世界中に流通し、「ターレル」は貨幣の標準単位に。オランダでは「ダーレル」、スペインでは「ダレラ」、そして新大陸アメリカでは「ダラー」(Dollar)と少しずつ変化しながらも、今日に至るまで一貫して貨幣の単位となったことは驚きですね。
 

大航海時代。新大陸はドイツに代わって新たな銀の宝庫となりました。銀の噂が飛び交った川は「Rio de la Plata」(plataはスペイン語で「銀」)と名づけられました。現在のラプラタ河ですね。同様に、スペイン植民地時代は 「la plata」と呼ばれていたこの川の流域は、後に独立の際に、「plata」をラテン語の「argentum」(ラテン語で銀 元素記号Ag)に変え、「Argentina(アルヘンティーナ=アルゼンチン)」と命名されました。


参考にしました

図説 お金の歴史全書

  • ジョナサン ウイリアムズ

コインの考古学―古代を解き明かす

  • アンドリュー バーネット

リンク


中世末期・近世初頭のドイツ鉱山業と領邦国家
瀬原義生氏の論文(PDF)とても詳しいです

コインの散歩道
しらかわただひこ氏のすばらしいコインの世界史

古代ギリシャ、ローマ、ビザンチンのコイン
よくまとまってます

Via de la Plata
「The Camino」というサイトの中の「銀の道」ルート