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奇跡のチェコビール 世界史小ネタ 第94回 

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私たちが現在飲んでいるタイプのビールは19世紀のチェコで誕生したそうです。なぜチェコでなければならなかったのでしょうか。人類とビールの深いかかわりとは。
 

ビールの歴史は人類の歴史とともに始まった、と言ってよいほど。古代バビロニアではすでにビールの製法が確立されており、飲むときに穀物殻が混ざらないようストローを使っていたという説も。ハンムラビ法典には、ビールを水で薄めて出す宿屋の主人は溺死刑に処す、という条項も。ピラミッド建設に参加したエジプト人たちの毎日の楽しみはおいしいビールにありつくことだったとか。
 

ローマ人は「cerevisia」(Ceres は農業の女神 vis はラテン語で力の意味)というビールを造っていました。紀元前49年にカエサルがルビコン川を渡っとき兵士たちと酌み交わしたのはこのビール。ゲルマン人たちの間でもビールはよく飲まれていたようですが、ワインに比べ一段低く見られていたことも事実。これを覆したのが大のビール党カール大帝であったとか。
 

ヨーロッパはもともと飲み水の少ないところ。修道院では中世の頃から保存できる飲み物としてビールやワインが作られ、旅の巡礼者たちにふるまわれました。。ビールの醸造技術は修道院を舞台に大いに発達を遂げました。そういえば、日本の清酒が最初に造られたのも大和の寺院でしたね。
 

風味付けにホップが使われだすのは十五世紀末以降で、それまでは多様なハーブが使われていました。製法も木の樽で常温発酵させる比較的単純なもの。酵母が浮かび上面で層を作るために上面醗酵ビールと呼ばれています。
 

19世紀までの伝統的なビールの大半はこの種のタイプで、イングランドなどでは「エール」と総称されていました。今もイギリスのパブで盛んに飲まれている「ビター」はその一種。味が濃くて炭酸が少な目ですが、あまり冷やさずに飲むのが正しい飲み方だそうです。話題のベルギービールもこうした伝統的製法によって作られた多種多様なビールで、「エール」の仲間に入るでしょう。
 

これとは別に、15世紀ごろから、ドイツのバイエルン地方の醸造師たちは、低温でも活動する酵母の存在に気づき、独自のやり方でビールを造り始めました。秋の終わりに仕込んだ樽をアルプスの氷の洞窟で貯蔵し、徐々に発酵させ、翌年の春に取り出しました。この貯蔵(ラガー)されたビールこそ「ラガービール」の始まりで、発酵が終わると酵母が固まって底に沈むので下面発酵ビールとも呼ばれました。
 

さて、1842年のこと。チェコのピルゼン市では新しい醸造所の建設に取り掛かっていました。醸造師として呼ばれたのが隣のバイエルンの職人たち。彼らは持参したラガー酵母でビールを造り始めまた。ところが、ピルゼンの水は軟水で、酵母との相性が良かったのか、故郷のビールよりはるかに透き通った琥珀色のビールが誕生しました。これがピルスナービールと呼ばれ、現在私たちが慣れ親しんでいるビールのルーツになりました。
 

一方、チェコと言えばボヘミアガラス。人々は、透明なグラスに並々と注がれたチェコビールの澄んだ輝きに魅了されていきます。それまでの陶器はグラスにとってかわられました。こうして、チェコの人々が偶然発見した究極のビールの飲み方が、19世紀末の冷凍技術の発達とともに、世界中に広がっていきました。
 

アメリカでも、ドイツ移民たちによって新しいビールの製法が伝えられました。その一人アンホイザーはチェコビールに命運を託しました。ブランド名に、本場チェコの「Budweiser Budvar」社から「Budweiser」という名前をこっそり借用して。禁酒法時代を経て「バドワイザー」は世界ナンバーワンのビール会社に。
 

あまりに有名になった「バドワイザー」のAB社と「Budweiser Budvar」社は戦後「商標権」をめぐって激しく対立します。ヨーロッパでは長い間「バドワイザー」の使用が認められず、「バド」という名前が使われていたことは有名な話。「Budweiser Budvar」社はAB社による買収攻撃を跳ね返しながら、チェコビールの伝統と意地を守り抜いたと言っていいでしょう。


参考にしました

ビール世界史紀行―ビール通のための15章
ビールの文化史〈2〉
ビールの文化史〈1〉
ビア・ライゼ―ドイツ・チェコ地ビールを求めて
ベルギービールという芸術

リンク

麒麟麦酒のサイト
エジプト人とビールのかかわり

ピルスナー・ウルケル社のHP
ここがチェコビールの元祖

Budweiser Budvar社のHP
バドワイザーの名前の元祖

アサヒビールのサイト
ここに詳しいビールの歴史が