17世紀後半から19世紀初頭にかけて、1000万人以上のアフリカの若者が奴隷船に詰め込まれ大西洋を渡りました。北米に連れ行かれたのは三分の一ていどで、他はカリブ海やブラジルに。彼らを待っていたのは広大なサトウキビ畑と精糖工場でした。
サトウキビはもともとニューギニア原産。インドで加工技術が発達し、アラビア人の手によってヨーロッパに持ち込まれました。Sugar はアラビア語の「スッカル」から。当時の砂糖は高価な貴重品で、ヨーロッパでも薬あるいは香辛料として利用されることが多かったとか。
16世紀にポルトガル領ブラジルでサトウキビ栽培が始まると、ヨーロッパ人の舌はたちまち砂糖の虜に。とくに紅茶文化が階級の垣根を越えて普及したイギリスでは消費量が激増。金・銀に代わって砂糖は大西洋交易の主役に踊り出ました。
しかしサトウキビは見た目以上にデリケートな作物。刈り取りは糖分の最も充実した時期を見計らっていっせいに行わねばなりません。刈り取った後は発酵しないように、硬い茎を急いで粉砕し、ジュースを搾り取らねばなりません。定期的な水遣りから精製まで大変な人手を要する労働集約型産業でした。
カリブ海における最初のサトウキビプランテーションは1640年ころイギリス領バルバドス島で誕生しました。プランターたちは当初労働力として原住民インディオを使いましたが、酷使によってほぼ絶滅すると、その代役としてアフリカから黒人奴隷たちを買い入れることに。面積は横浜市とほぼ同じくらいのこの小さな島に、以降数百年に渡って50万人もの黒人たちが投入されました。
サトウキビプランテーションがカリブ海全域に広がるにつれ、奴隷の需要は高まる一方。アフリカ西海岸で仕入れた奴隷をカリブ海諸島で売り、砂糖やタバコ、コーヒーを持ち帰るという奴隷貿易が18世紀から19世紀にかけて全盛期を迎えます。イギリスのリバプールはヨーロッパ最大の奴隷貿易港。ここで産み落とされた莫大な資金が産業革命を生んだと言われているほど。
プランテーションの労働者の大半は黒人奴隷でしたが、中にはイギリスやフランス本国のあぶれ者のたちも紛れ込んでいました。犯罪者や夜逃げ人、そして亡命を余儀なくされたアイルランドの革命家たち。ジャマイカに多いケネディやマコーマックといったアイルランド系の姓のルーツは彼らにあるとか。
カリブ海の黒人たちは北米の黒人たちのように家庭内奴隷として白人社会に溶け込む機会は少なかったようです。両者の生活空間は厳然と区別されていました。しかしそのことが逆に彼らの中にアフリカ的な感性を温存する原因になったと、『甘さと権力』のミンツ博士は指摘します。カリブ海世界では北米の黒人社会にはないよりアフリカ的な文化が育まれました。
例えばダンスや音楽。キューバはマンボやルンバやチャチャチャのリズムを生み出したことで有名ですね。ジャマイカのレゲエはカリプソやゴスペルの影響を受けて60年代に誕生しましたが、ボブ・マーリーによって世界音楽に高められました。スティール・ドラムはカリブ海音楽のシンボルですが、作られたのはトリニダード・トバゴが最初でした。
カリブ海の黒人たちはまた「アフリカンアメリカン」の誇りを世界に発信しました。「ネグリチュード」という言葉をつくったフランスの現代詩人エメ・セゼールはマルティニク出身。『黒い皮膚・白い仮面』の作者フランツ・ファノンもマルティニク生まれ。ニューヨークでアフリカ回帰を訴えたマーカス・ガーヴェイはジャマイカ出身。ブラック・パンサーの設立者ストークリー・カーマイケルはトリニダード生まれ。そう言えば先ほど退任した前パウエル国務長官もニューヨーク生まれのジャマイカ移民の子でしたね。
先日ボブ・マーリーの遺体がエチオピアに再埋葬されることになり、話題を呼びましたが、あらためてアフリカが彼らにとってどういう意味を持つのか思い知らされた気がします。
参考にしました

砂糖が回す世界史の舞台
人類の甘い物への探究が凝縮されています
“ニグロ”にとってのダンスとは?リンク
Science@SugarCaptive Passage
奴隷貿易について
Slavery
BBCのサイトから「奴隷制」
The Atlantic Slave Trade and
Slave Life in the Americas
驚くほど多くの奴隷に関するイメージ資料があります
ラテン=アメリカの政治
ラテン=アメリカの革命運動に関する日本語のサイト
exolorer jamaica
ジャマイカ政府観光局の公式サイト。日本語
bobmarley.com
ボブ・マーリーの公式サイト