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ガレー船盛衰記 世界史小ネタ第88回

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狭い甲板に響く男たちの荒い息。波を切り裂いて孤を描くオール。地中海がヨーロッパ文明の母体であったとすれば、ガレー船は2千年にわたってその心臓であり血管でした。

ガレー船とはオールで漕ぐ軍船のこと。原型はフェニキア時代から。ペルシャ戦争で活躍したギリシャの三段櫂船が有名ですね。形や大きさを少しずつ変えながら、ローマやビザンティン、そしてオスマン=トルコに受け継がれていきました。

かなり大きな船を動かすわけですから、オールの長さは十数メートル、重さは100㌔以上あったといいます。まるで電信柱ですね。近世のガレー船ではこれを5,6人で動かしました。うまくリズムに乗れなければ隣のオールに頭をぶつけて大怪我になったとか。

全力走行すると時速12キロぐらいは出たようですが、このペースでは15分が限界。通常はその半分ぐらいのスピードで、しかも2グループ交代制で船を進めました。長距離を移動するときはなるべく帆を張り、風の力を利用したようです。

ガレー船を改良し商船として利用したのはジェノヴァとヴェネチアでした。人件費が多少高くついても、香辛料などの貴重品を安全に確実に輸送するという点では帆船より優れていました。13世紀末になると黒海沿岸からベイルート、アレクサンドリア、ブリュージュを結ぶ定期航路が開かれ、地中海交易は全盛期を迎えました。

ヴェネチアは arsenale (海軍工廠。英語では arsenal になり、イングランドのサッカーチーム「アーセナル」の名に) という自前の造船所を持っていました。語源はアラビア語の「ダルセナア」で、ギリシャ語からビザンティン経由で継承された言葉。最盛期には3千人が働き、2ヶ月で100隻のガレー船を進水させたという記録も。

そのヴェネチアを中心とするキリスト教連合艦隊が、1571年ギリシャ西南沖でオスマン艦隊と激突。世にいうレパントの海戦ですね。双方で450隻のガレー船がぶつかり合う、史上まれに見る大海戦に。この戦争はガレー船が光彩を放った最後の戦争でもありました。

17世紀末、時代遅れのガレー船に執着し、徒刑囚を漕ぎ手とする船団を育てたのはルイ14世でした。「国王の偉大さを示す最良の方法は、強力なガレー船団を所有すること」(コルベール)だったからです。18世紀半ばそのフランスガレー船団も廃絶に追い込まれ、二度と蘇ることはありませんでした。

今日ではオールを漕ぎながら地中海を駆け巡るなんて想像もできませんね。しかし、コロンブスがジェノヴァ人であったことからもわかるように、その技術と経験の蓄積が大航海時代を準備したと言えるのではないでしょうか。

参考にしました

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リンク

Http://home-3.tiscali.nl/~meester7
ギリシャの三段櫂船

Http://www.publius-historicus.com/galer
16世紀のガレー船のイラスト。

Http://www.association.galere.ch/10/
17世紀のガレー船を再現しようとしている。まだ途中だが、十分な見ごたえ。ガレー船の歴史なども。

Http://digilander.libero.it/ca
アドリア海に浮かぶヴェネチアの様子をよく表現した古地図。

Http://kino-p.keddy.ne.jp/plus/
「きのぴー」氏のサイト。ここの「雑文置場」のさらに「歴史のお話し」のページにガレー船の詳しい紹介がありました。日本語で読める数少ないサイトでしょう。

Http://membres.lycos.fr/assobjectif/article/m
レパントの海戦を描いたフランス語のサイト。ヴェネチアのガレー船の絵も。