目で見る世界史 TOP 






エッフェルの挑戦 世界史小ネタ第85回

関連する小ネタ
1
2
3
4

関連するリンク
1
2

パリといえばエッフェル塔。エンパイアステートビルに抜かれるまで約40年間、世界一の座に君臨してきました。街のど真ん中に無用とも思われる巨大建築が建てられたわけは。

設計者は1832年生まれのギュスターヴ・エッフェル。彼は『空気抵抗』という著書でもわかるように、高層建築上の空気力学の専門家でした。彼が携わった鉄製の高架橋はポルトガルなど世界各地に。

エッフェルの名が一躍知られるようになったのは、ある巨大モニュメントを支える鉄骨を設計してから。そう、「独立100年祭」の記念にフランスがアメリカにプレゼントしたあの「自由の女神」像ですね。

フランスは革命100年目にあたる1889年に第4回目のパリ博覧会を計画しました。万博委員会はそのシンボルとして世界一の建物を提案。大理石の「太陽の塔」や巨大「ギロチン」など700もの案がコンペに。しかし委員会が満場一致で選んだのは、エッフェルの「300メートルの鉄の塔」でした。

塔は2年という驚異的な速さで完成しました。第三テラスまでエレベーターで昇ると、そこには人類が体験したことのない視界が待っていました。夜になると塔全体がアーク灯、白熱灯で照らされ、パリの夜空に浮かび上がるという仕掛け。塔は万国博覧会が掲げた理想そのものでした。

最初に万博をパリに招聘したのは「事業家」皇帝ナポレオン3世。彼はパリ改造に着手する一方、広く資金を集めて鉄道建設などを推進。万博は「鉄の時代」を国民にアピールするうってつけのイベントだったのでしょう。普仏戦争後最初に開かれたのが1878年の第3回パリ博。第5回目の1900年のパリ博にはフランス全人口を上回る4800万人が駆けつけました。

人を集め、効果的にディスプレーすることを追及した万博の経験は、パリに多くの遺産を残しました。例えば、1895年には映画の原型であるシネマトグラフがリュミエール兄弟によって発明され、メトロ(地下鉄)は1900年万博に間に合うよう建設されました。

オリンピックも1900年のパリ博から生まれたといったら意外でしょうか。実際、初期のオリンピックは、万博会場の片隅でまるでアトラクションの一つのように細々と行われていたとか。「金銀銅のメダル」も元は万博で優秀な商品に与えられた賞がはじまりだそうです。

「デパート」が消費の殿堂として飛躍したきっかけもパリ博でした。例えば1872年に完成した「ボン・マルシェ」の新館。ガラスで覆われた吹き抜けの大ホールや購買意欲を掻き立てるディスプレーなどは間違いなく万博で培われたノウハウの応用でした。そして、この新館の工事の設計者として、今もそのHPに名を刻まれているのは、若き日のエッフェルその人でした。

参考にしました

パリ・世紀末パノラマ館―エッフェル塔からチョコレートまで
鹿島 茂

中央公論新社
2000-12
売り上げランキング 27,938


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

リンク

Http://www.tour-eiffel.fr/home_nuit.html
エッフェル塔。フランスの公式サイト。エッフェルの業績、初期の設計図、エッフェル塔に関する各国のアンケート結果など他では見られない情報が豊富。

Http://www.endex.com/gf/buildin
エッフェル塔に関する歴史、イメージ資料、リンクなどたくさん。

Http://www.photoart.plus.com/expos/
歴代のパリ博を写真で振り返るサイト。

Http://theo.theo.tu-cottbus.de/expo/
万博史の集大成のようなドイツ語のサイト。きっとここが一番写真資料が豊富でしょう。

Http://netrover.com/~berta/pagexpo.html
「自由の女神」のサイト。Structural Engineer としての Gustave Eiffel の名が紹介されています。

Http://www.lebonmarche.fr/
世界初のデパート「ボン・マルシェ」のサイト。左下の「histoire du bon marche」に、ブシコー設立当初の歴史がヴィジュアルに紹介されています。Gustave Eiffel の名を発見できましたか。