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コサックのロシア史 世界史小ネタ第83回

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コサックと言えば足を跳ね上げる独特のダンスで知られてますね。しかしその実像は戦争と略奪を生業とした「悪党」集団。ツァーリの軍隊に組み入れられロシア帝国主義の先兵に。

一説では、コサックという名前はトルコ語の「kazak」(自由な人、冒険者)から。大多数はスラヴ系ですが、トルコ人やギリシャ人の血を引く者も。遊牧民の影響を強く受け、生まれながらの騎馬戦士に。

キプチャク=ハン国の力が衰えると、ドン川など南ロシアの川筋を拠点に、徒党を組んで自立し始めます。小船を操って黒海やカスピ海沿岸の異教徒を襲撃。後のコサックの反乱者ステンカ=ラージンがさらってきたのは「ペルシャの姫」でしたね。周囲の逃亡農民を吸収して有力な武装勢力に。

16世紀中ごろ公式に「ツァーリ」を名乗ったイワン4世は、コサックを動員して、カザン=ハン、アストラハン=ハンの2国を征服。これはロシア人が長年屈してきたタタール人に対する最初の勝利になりました。

1581年コサックの族長イェルマークが初めてウラル山脈を越えると、シベリアは毛皮ラッシュに。特に黒貂は「ロシアンセーブル」と呼ばれ争奪戦の的。やはりコサック出身のデジニョフはベーリングより100年早くユーラシア大陸東端に達し、ハバロフ(ハバロフスクの名に)は1649年アムール川を下り、極東への道を開きました。

それにしてもコサックたちはどうやってタイガの密林に道を切り開いたのか。実はオビ川やエニセイ川の支流を遡っていくと、両水系が極めて接近している個所があります。こういう個所だけ船を引揚げ陸路で隣の水系に移動。するとわずか3回下船するだけで東西1万キロのシベリアを船で横断できたとか。シベリアはコサックたちにとって水で結ばれた大陸だったのです。

ピョートル大帝の時代には、特別な軍事身分に取り立てられ、文字通り「ツァーリの先兵」に。19世紀の祖国防衛戦争では、ナポレオン軍を敗走させ、勝利の立て役者になりましたが、それはコサック戦法が光彩を放った最後の戦争でもありました。

ツァーリに忠誠を尽くしたコサックはロシア革命で反革命軍の主力に。待っていたのは根こそぎの抹殺でした。その彼らが80年間の空白を乗り越えて、今蘇ろうとしています。帝政ロシア時代の軍服をまとい数え切れない勲章をぶらさげて。「滑稽で時代錯誤」と揶揄されながらも、着実にその政治的発言力を増大させているようです。

参考にしました

コサックのロシア―戦う民族主義の先兵
植田 樹

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リンク

Http://www.max.k12.nd.us/cossack.html
North Dakota の「Max Public School」のサイトから。コサックダンスのGIFアニメが可愛い。この学校は、北欧系、ロシア系移民の多い地区にあるらしい。メインページのGIFはこちらからお借りしてます。

Http://www.cossackweb.com/cossacks/cossacks.htm
コサックのことなら何でもというサイト。英語ですが、イメージ資料が多く十分おもしろいです。

Http://www.ne.jp/asahi/ensemble/amedeo/pamp
ロシア民謡「ステンカ ラージン」の原詩。「ペルシャの姫」をラージンがボルガに投げ入れたという伝説のいわれが紹介されています。マンドリンオーケストラ「アンサンブル・アメデオ」のサイトから。

Http://www001.upp.so-net.ne.jp/dewaruss/inde
「ロシア語翻訳とロシア語そしてロシアに関する出羽弘のページ」。ここの「ロシア人のシベリア征服」が大変参考になります。

Http://www.hanasi.com/%7Epan/index.html
「貂主の国」。ここの「北ユーラシアマップ」に、網の目状に張り巡らされたシベリアの河川の支流が紹介されています。

Http://www.asahi-net.or.jp/~ri8a-iskw/
「写真で見るロシアと旧ソ連の国々」。ロシア各地の風景の驚くべき数の写真が。