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カルタゴとローマ 世界史小ネタ第81回

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ワールドカップが始まりました。今回は日本と対戦するチュニジアの歴史について。二千数百年前には「カルタゴ」と呼ばれ、地中海の覇権をめぐってローマと死闘を繰り広げました。

カルタゴはフェニキア人のつくった町。交易で栄え、美しい街並みは「地中海の宝石」と讃えられました。海運とビジネスに長けた彼らを、ローマ人が「エコノミックアニマル」などと揶揄したところから、現代日本に重ね合わせる議論も生まれました。

新興勢力ローマがカルタゴ領シチリアに侵攻したのは前264年。第一次ポエニ戦争の勃発です。陸戦に強いローマと海戦を得意とするカルタゴが一進一退の攻防。力つきたカルタゴがシチリアを撤退して決着がつきましたが、このときの負け将軍がハミルカル・バルカでした。

誇り高きハミルカルは、イベリア半島に拠点を移し、ローマへのリベンジに備えます。現在のスペイン東岸に残る「カルタヘナ」という町はこの時建設された「新カルタゴ」。ハミルカルの野望は息子ハンニバルに受け継がれることに。

成長したハンニバルは奇抜な作戦に出ます。海上を固めたローマにたいして、イベリア半島から陸路でピレネー、アルプスを越え、北イタリアに侵入するというもの。しかも37頭の軍象を引き連れて。

5ヶ月間にわたる行軍で兵士も動物も半減しましたが、しかし生き残った象たちはローマ軍の度肝を抜くに十分でした。カンナエでは、少数のハンニバル軍が8万というローマ軍を殲滅。ローマ市民たちは「ハンニバル」の名を聞いただけで震え上がったとか。

しかし最終的には、体勢を立て直したローマがカルタゴを撃破して第二次ポエニ戦争は終わりました。この戦いでカルタゴ側についたのがシラクサ(シチリア島)の大物理学者アルキメデス。接岸しようとする軍船を起重機のようなものでもちあげたり、凹面鏡で船を炎上させるなど、ローマ軍を大いに悩ませたとか。

第三次ポエニ戦争はカルタゴを地上から抹殺するための戦争でした。市街に放たれた火は17日間燃え続け、その灰は1メートルに達したとか。石の建造物はことごとく粉砕され、わずかに生き残った住民たちは殺されるか奴隷にされました。生命の痕跡を残さない徹底した破壊ぶりは、逆にローマのカルタゴにたいする「恐怖心」の深さを物語っていますね。

もしチュニジアとイタリアが順調に勝ち上がったとすると、両者が今回のワールドカップで対戦するのは決勝戦。さて、チュニジアのリベンジはなるでしょうか。

参考にしました

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リンク

Http://www.barca.fsnet.co.uk/index.htm
「ハンニバルとポエニ戦争」。英語ですが、戦争関係の地図や軍隊、武器の様子がビジュアルに紹介されています。

Http://www.netlaputa.ne.jp/~nebata/index.htm
「遺跡大好き」。ここの「チュニジア編」に、カルタゴの地図や歴史、写真がわかりやすく紹介されています。日本語。

Http://www3.big.or.jp/~kitamura/
「ヨーロッパ アルプス 峠ドライブ」。127もあるアルプスの峠をすべて走破しようという大胆にして羨ましい企画。ここの「(I-site)アルプス峠Top100+α 」に、ハンニバルが通ったとされる峠も紹介されています。

Http://www.ku.edu/history/index/europe/
ポエニ戦争を記述したローマの歴史家ポリビウスの「歴史」という著作の英語訳。カルタゴの歴史の多くは彼のこの本に基づいています。

Http://www.bridgestone.co.jp/hgt/haj
ブリジストンのサイトから。ここにローマの軍船をつり上げたアルキメデスの起重機の話が。

Http://lexicorient.com/tunisia/carthage.htm
トラベルガイド「lexicorient」のページ。カルタゴの素晴らしい写真が楽しめます。「幼児生け贄」を証明する墓の写真なども。