目で見る世界史 TOP 






科挙 その隠された意図(2) 世界史小ネタ第80回

関連する小ネタ
1
2
3
4

関連するリンク
1
2

科挙の最初の難関は8月9日から始まる地方試験(郷試)。各省府の試験場(貢院)に集まった一万を超える受験生たちは、蜂の巣のように区切られた独房で、2晩3日の孤独な闘いに挑みました。

一人分のスペースはたたみ一枚ほどで、足を折り曲げて何とか仮眠できる程度。ろうそくを蹴飛ばして答案用紙を焦がそうものなら即失格。緊張のあまり発狂する受験生もいたとか。

似たり寄ったりの数十万枚の答案を審査する側もたいへん。宋代からは、試験官の私情が入らないように、受験生の名前を伏せ(封彌)、筆跡を隠すために答案のコピーを作ってから審査するように(謄録法)。答案を一枚一枚代筆する労力と人件費も膨大なものでした。

これを中央試験(会試)、殿試と三回繰り返しました。確かに優秀な人材を公平に発掘できたかも知れませんが、ただそれだけのためにこんな大事業を千数百年間続けたとは思えませんね。その「隠された意図」とは。

宮崎市定氏は科挙を「総選挙」にたとえています。おらが村の代表を中央政界に送り出す三年に一度の「まつりごと」だと。一度も合格者を出してない村は不毛の地という意味で「天荒」などと揶揄されました。この村で初めて合格者が出ると「破天荒」に。

もう一つ、試験の中身に注目。「儒教古典の丸暗記」は俗説で、科挙では、古代の言語に精通し、自由に古文を書きこなす能力が厳しく問われました。清少納言になりきって「枕草子」的文章をすらすら書く。言語能力の勝負だったんですね。

一言で中国と言っても、その範囲は流動的で多様でした。彼らを結びつけ、その誇りをかき立てたのは、「漢字」という知的財産であり、伝承された漢籍文献でした。科挙が問うたのは、これらの文化遺産の継承者としての資質だったのです。

最も中国的なものの継承者にしてかつ知的権威に満ちた人物を国の隅々に配置することによって、行政を円滑に操縦しようとした皇帝。科挙という国を挙げてのイベントはその知的権威を皇帝自ら選抜する儀式でもありました。だからこそ王朝が交替し、異民族皇帝が支配しても、行政の根幹は科挙官僚の手に委ねられ続けたのではないでしょうか。

参考にしました

科挙の話―試験制度と文人官僚
村上 哲見

講談社
2000-04
売り上げランキング 177,220


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


科挙と官僚制
平田 茂樹

山川出版社
1997-02
売り上げランキング 87,048

おすすめ平均
ページ数が少ないのが残念

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

リンク

Http://www.njfzm.com/jngy.htm
南京にある江南貢院。幾重にも連なった屋根が貢院の規模の大きさを示しています。カンニングペーパーや「捷報」の写真なども。

Http://museum.eastday.com/buwuguan/
たいへん貴重な独房内部の模型。中国のサイト。

Http://www.zhoujie.com.cn/gongyuan.htm
定州貢院。清代に建てられよく保存された貢院建築。河北省。