科挙とは官僚をペーパーテストで選抜する制度。王朝が交替しても、この奇抜なアイデアは連綿と受け継がれました。1300年間中国社会に深く浸透した科挙の秘密とは。
受験熱がピークに達した明清時代、3年に一度の試験に殺到した受験生は数十万人。うち最終の「殿試」に合格し「進士」の称号を得たものはわずかに数百人。合格者の平均年齢36歳という記録も肯けるところですね。
進士のなかでもトップ合格者は特に「状元」と呼ばれ、大臣の椅子が約束されました。豚のホルモンがふんだんに入った「状元及第粥」は息子の合格を願う母親の家庭料理。「状元及第銭」とは文字通り、科挙の合格を祈った福銭の一種。
試験準備の大半は数十万字という「四書五経」の暗記とその解釈に費やされました。おかげで中国各地はもちろん、台北、ソウル、ハノイ、長崎にも孔子を祀る風習が広がりました。曲阜に次ぐ北京の孔子廟は、飲むと文章が上達するという井戸で有名。ここの「進士題名」という石碑には元代から清代までの5万人以上の科挙合格者の名がずらり刻まれているとか。
そこそこの家に生まれた男の子ならば誰でも一家、いや一族の期待を担ってこの科挙に挑戦しました。それほど豊かな農民の出ではなかった洪秀全(太平天国の乱)ですら何度もトライしたぐらいですから。
少年たちが感じた受験のプレッシャーはいかほどのものでしょう。もしあなたが生まれながらにして「東大理Ⅲ」受験を宿命づけられていたとしたら。「殿試」はおろか第1段階の「郷試(地方試験)」すらクリアできなかった落伍者のトラウマもまた深い。このトラウマが後の中国人男性をアヘンに走らせた、などとするのは少し考えすぎでしょうか。
一方で試験から疎外された女性たちは、三従の教え(父、夫、子への服従)の通り、男性より数段低く扱われてきました。子を産むなら絶対男の子、ということになりますね。一人っ子政策の現代中国で、戸籍から抹殺された「黒孩子」の大半を女子が占めていることは、かつての男性社会の名残なのでしょうか。
「金持ちになるには良田を買う必要はない。本の中から自然に千石の米が出てくる」。これは宋朝三代皇帝真宗が作ったと伝えられる、一般民衆向けのプロパガンダの一節。科挙完成期の宋代、なぜ時の為政者はペーパーテストにこだわったのでしょうか。これは次回に。
参考にしました
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