目で見る世界史 TOP 






電話誕生秘話 世界史小ネタ第74回

関連する小ネタ
1
2
3
4

関連するリンク
1
2

今日の「ケータイ」や「ネット」の爆発的な普及を誰が予測したでしょうか。しかしその原点はわずか百数十年前にありました。モールスやベルの活躍した、電気メディア草創期を訪ねてみましょう。

19世紀の半ばまで、遠隔地間の通信手段と言えば鳩でした。伝書鳩(carrier pigeon )はすでにローマ時代から。1850年パウル・ロイターはドイツで金融情報を提供するサーヴィスを始めましたが、その時は40羽の鳩が頼りでした。

しかし翌年ドーヴァー海峡をまたいで海底ケーブルが敷設されると、ロイターは情報の集中するロンドンに進出。モールスが開拓した電信技術を利用してロイター速報を流しました。ロイターより30歳ほど若いアレキサンダー・グラハム・ベルはエジンバラ生まれ。ベルの偉業は彼の家系と生い立ち抜きに語れません。

彼の祖父は俳優、弁舌家として名をなした人物。威厳ある声が「説得力」を生むことに気づき、発声法の専門家に。その2番目の息子メルヴィルも発声法の研究家でしたが、10歳年上の聾唖者エリザ=グレースと出会うと「言語障害」に猛然と取り組みました。この女性が後にメルヴィルと結婚しベルを生むことに。

結婚後エリザはハンディを克服してピアニストになります。耳の不自由な彼女のすさまじい努力と音への執念。幼いベルはこの母に深く影響されたようです。彼はユニークな方法で母と会話しました。彼女の額に口をくっつけながら低くよく通る声で語りかけるのです。「僕の声の振動が母に伝わっている」と直感したからでした。

ベルが23歳にとき一家はカナダへ移住。彼はボストンの聾学校で、父メルヴィルの開発した「視話法」を教えることに。しかし世は電気通信の幕開けの時代。彼は最初複数の信号を同時に送る「harmonic telegraph」に取り組みましたが、やがて別のアイデアに。それは音によって変化する空気の振動を電気信号に変えるというもの。幼い日々の体験が生んだアイデアでした。

1875年のある日、ベルの耳に人間の声らしきものが飛び込んできました。それは隣の部屋の助手のつぶやきでした。彼は自分の直感が正しかったとことを確信。翌年電話を完成させるとベルカンパニー (今日の ATT)を設立し、富と名声を一挙に手に入れました。しかしそれでも「職業は」と訊ねられると、ベルは決まって「聾学校の教師」と答えたとか。

晩年のベルの元に、粗野で乱暴な一人の少女が父親に連れられてきました。ベルは見抜きます。この少女は人とコミュニケーションできないいらだちを周囲にぶつけているだけだ、と。彼女の名はヘレン=ケラー。ベルは早速一人の弱視の女性を紹介しました。それがアン=サリバンでした。語り尽くされた彼女たちの苦闘の陰に、ベルの鋭い洞察があったことを忘れてはならないでしょう。

参考にしました

ヘレン・ケラーを支えた電話の父・ベル博士
ジュディス・セントジョージ

あすなろ書房
1999-11
売り上げランキング 315,323


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


発明戦争―エジソンvs.ベル
木村 哲人

筑摩書房
1994-05
売り上げランキング 441,292

おすすめ平均
巨富の攻防

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


メディアとしての電話
吉見 俊哉

弘文堂
1992-10
売り上げランキング 129,883


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

リンク

Http://about.reuters.com/investormedia/company_info/history.asp
ロイター通信社のサイトから。簡単な社史が載っています。

Http://www.si.edu/resource/faq/nmah/cherami.htm
第1次世界大戦で活躍した伝書鳩の話し。

Http://www.pbs.org/wgbh/amex/telephon
ベルの生涯を丁寧に描いている「PBS」のサイト。上のネタもと。

Http://memory.loc.gov/ammem/bellhtml/bellh
ベル直筆のノートなどが保存されている「アメリカンメモリー」。

Http://www.kids.soumu.go.jp/museum/histo
総務省「情報通信白書 for Kids」から。ベルの電話の原理を簡単に紹介しています。

Http://www5c.biglobe.ne.jp/~obara/index.htm
「小原二三夫の部屋」。ここに「ヘレン=ケラー」(Dennis Wepman)が小原氏によって翻訳されています。