「ヴェニスの商人」が英国で初めて上演されたのは16世紀末。すでに「高利貸し」ユダヤ人のイメージが広く流布されていたようです。ユダヤ人はなぜ「高利貸し」にならなければならなかったのか。そのルーツを中世に探りましょう。
ユダヤ人たちは1900年前、ローマに敗れてエルサレムを追われました。「ディアスポラ」の始まりです。しかしそのローマ帝国(西)がゲルマン人の侵入で崩壊し、7世紀にアラビア半島からイスラム勢力が勃興すると、地中海沿岸に離散したユダヤ人にチャンスが巡ってきます。
豊かなイスラム世界との交易は欠かせないものでしたが、誕生間もないゲルマン社会の窓口としてイスラム商人と直接交渉したのはユダヤ人でした。シャルルマーニュは8世紀末にバグダッドのカリフに使者を送りましたが、ガイド役を務めたのはユダヤ人。独自のネットワークを生かして西アジアの諸都市から香料や絹を輸入し、逆に黒海北部の奴隷(slave=スラヴ人)などをイスラム世界に輸出しました。
2つの世界の境界線上にあったイベリア半島ではとりわけユダヤ人の活躍が目立ちました。カスティリア王アルフォンソ6世(1040-1109)は財務に明るいユダヤ人たちを擁して、イスラムからトレドを奪い返しました。トレドは学芸文化の中心になり、「12世紀ルネサンス」の舞台に。アラビア文字のギリシャ古典が盛んにラテン語に翻訳され、アリストテレスの名が初めて知られるように。翻訳作業の中心になったのはもちろんユダヤ系知識人でした。
中世の転換点となった11世紀、商工業が発達し、新興の商人層が台頭してくると、ユダヤ人は一転して逆境に。ギルドは守護聖人への誓約の上に成り立った組織ですが、これはユダヤ人を排除する良い口実に。第一回の十字軍(1096年)の遠征では、リヨンやマインツ、プラハなどの豊かなユダヤ人街が真っ先に襲撃され、その富が奪われました。以降ヨーロッパ全域に迫害が広がっていきました。
金貸し業はそれまで教会や修道院でも行われていたようですが、時間的余裕ができるという理由でユダヤ人に好まれた仕事でもありました。しかし1215年の第4回ラテラノ会議で、(キリスト教徒による)キリスト教徒への利息付き金貸しが厳禁され、ユダヤ人が全ての公職、ギルドから追放されると、「高利貸し」はユダヤ人の専業に。ペスト流行の時などには多数のユダヤ人が虐殺されましたが、「借り証文」が一緒に焼かれたことは言うまでもありません。イギリス、フランスに次いで、レコンキスタの完成した(1492年)スペインでもユダヤ人は正式に追放されました。
イベリア半島を追われた25万のユダヤ人たちは比較的寛容なオスマン=トルコやネーデルラント、イタリアの諸都市に逃れていきました。ダイヤ加工(アントウェルペン)や珊瑚加工(イタリア)などを除けば、やはり金貸し業に流れる人が多かったようです。「ゲットー」は16世紀初めのヴェネツィアで生まれました。これらのイベリア半島出身のユダヤ人たちは特に「セファルディーム」と呼ばれていますね。17世紀のアムステルダムで世界貿易に活躍したユダヤ人もこの一派。オランダ東インド会社は世界最初の株式会社でしたが、この株式の売買に最も熱中したのはユダヤ人でした。投機がピークに達した18世紀には株式の4分の1がユダヤ人名義であったとか。
一方、イディッシュ語を話す「アシュケナジーム」と呼ばれたユダヤ人のグループはドイツから東欧に拡散し、現代ユダヤ人の主流に。やはり零細な金貸し業を生業とする者が多かったようです。しかし彼らの能力を最も高く評価したのは、三十年戦争で破産寸前に陥ったドイツの諸侯たちでした。彼らは有能なユダヤ人に財産管理を任せたばかりか、徴税を請け負わせ、戦争が起これば武器、傭兵を調達させました。神聖ローマ帝国内の200近い領邦のほとんでこうした「宮廷ユダヤ人」が活躍したといいますから驚きですね。
フランクフルトに生まれたマイヤー・アムシェル・ロートシルトもその一人。この話は次回に。
参考にしました
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リンク
Http://www.ijournal.org/IsraelTimes/index.htm