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毛織物とフィレンツェ 世界史小ネタ第70回

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中世ヨーロッパでは、毛織物は現代の自動車に匹敵する最先端工業製品。質の良い毛織物を生産、輸出した国がヨーロッパ経済を制しました。ルネサンスを育んだ町フィレンツェもその一つ。

ヴェネチア、ジェノヴァが地中海交易で隆盛を極めたのに対して、トスカナの内陸都市フィレンツェは毛織物と金融業で台頭しました。町を流れるアルノ川のほとりで、ダンテとベアトリーチェが出会った13世紀末、フィレンツェはすでにコムーネ(自治都市)として自立。町の実権は有力商人たちが握っていました。14世紀の中ごろには人口10万人を数え、200のウールショップと80の銀行がひしめきあっていたとか。

アルノ川の豊かな水量が毛織物工業を支えました。原毛を打ち、油を塗り、梳毛(そもう-毛を梳き揃えること)することから始まって、紡ぎ、織り、剪毛(けばを切って揃えること)し、染色工に渡し、最後にプレスしてつやを出す。全行程をあわせると6ヶ月は要したとか。川が染料やタンニンで汚染されていたという記録もうなずけますね。

1378年フィレンツェを揺るがす「チオンピの乱」が起こりました。チオンピとは、打毛、梳毛などの単純労働に従事する日雇い労働者のこと。巨大な毛織物商人ギルドに対抗して、職人ギルドを結成して果敢に闘いましたが、結局敗れてしまいました。

原毛のほとんどは輸入もの。イベリア半島や北アフリカのものが多かったようですが、なかでも当時最も品質が良く高価だったのはイングランド産。バイヤーたちがコッツウォルズの修道院などから買い集め、船でイタリアに運びました。

毛織物で財をなした商人たちはこれを元手に金融業に進出しました。約束手形や保険など近代商業に欠かせない仕組みを考え出したのはトスカナの商人たち。そして、カトリックの教義上厳禁されていた「利息」を伴う金貸し業に道を開いたのはあのメディチ銀行でした。

メディチ銀行は金を融資するときまず外国通貨で手形を発行しました。借り手はこれをフィレンツェ支店でフィレンツェ通貨と交換しましたが、その時すでに両替のための手数料が差し引かれていました。つまり両替手数料と言う名目で利息を合法化したわけですね。メディチ銀行はヨーロッパ中に支店網を張り巡らせ、やがて「フロリン(フィレンツェ)金貨」がヨーロッパの国際通貨に。ちなみにフィレンツェ人アメリゴ=ヴェスプッチはメディチ銀行セビリャ支店長の要職にあったとか。

イタリアの毛織物工業は今もその伝統をしっかりと受け継いでいます。ミラノがファッショントレンドの発信基地として君臨できるのは、ビエラ(アルプス山麓)やプラトー(フィレンツェ近郊)といった高級毛織物生産地を抱えているから。一つ異なるのは、かつての無名職人たちが今はヴェルサーチやアルマーニの名で世界中に知られるようになった点でしょうか。

参考にしました

フィレンツェに抱かれて―歴史の中に生きる人々の生活と姿
R.W.B.ルイス

中央公論新社
1999-05
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リンク

Http://www.florenceitaly.net/nihongo/in
フィレンツェの最新ガイド。イタリアのサイトですが、平尾あずささんが翻訳されています。

Http://www.mi.cnr.it/WOI/deagosti/h
「Windows in Italy」。ここの「THE RENAISSANCE AND THE SIGNORIE」で、毛織物で発展したフィレンツェに触れられています。

Http://www.mega.it/eng/egui/hogui.htm
フィレンツェのアートガイド。英語

http://home9.highway.ne.jp/nicolo/
「A Life of Niccolo Machiavelli 」。アヤコさんのサイト。ルネサンス時代のフィレンツェの歴史がよくわかります。

Http://www.istitutodatini.it/
14世紀のプラトーの商人フランチェスコ=ダティーニを扱ったサイト。約束手形の発明など当時の商業に画期的な影響を与えた人物。