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クリミア戦争 世界史小ネタ第66回

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無数に折り重なる屍、血と硝煙の臭い。砲兵少尉としてクリミア戦争に従軍した若き日のトルストイは『セヴァストポリ物語』で戦場の悲惨を生々しく描きました。

セヴァストポリ要塞は黒海に突き出たクリミア半島南端のロシア海軍の基地。18世紀末クリミア=ハン国を併合したエカチェリーナ2世が築きました。第二次大戦末期のヤルタ会談が行われた保養地ヤルタは東へ約60キロメートルのところ。

黒海から地中海への出口(ボスフォラス海峡)は南下を目指すロシアの生命線でした。歴代のツァーリは「瀕死の病人」オスマン=トルコから海峡の通行権を奪おうとしましたが、英仏等の介入で挫折。1853年ロシア軍とトルコを支援する英仏軍はクリミア半島で激突。セヴァストポリ要塞をめぐる攻防戦は陰惨を極め、要塞に立て籠もったロシア軍は349日目、力つきて降服しました。南下政策はまたしても失敗に終わりました。

この戦争で看護婦として参加したのがイギリス人女性ナイチンゲール。しかし野戦病院はネズミとシラミが跳梁し、飲料水の補給もままならない状態。傷病兵の死亡率は40%に達していました。彼女は精力的にデータを収集し、独自の統計的分析を根拠に、病院の環境改善を進言。わずか半年で死亡率を 2 %に激減させました。

戦場から還った彼女はこの経験を生かして近代看護学を確立し、1880 年には看護専門学校(ナイチンゲール・スクール)を設立。150冊の本と12000通の手紙を書いて看護と衛生に関する啓蒙活動に生涯を捧げました。彼女が採用した統計的手法はまだ統計学自体が確立していない時代の画期的な業績だとか。

第一次大戦で「トレンチコート」が生まれたことは有名な話ですが、クリミア戦争では「カーディガン」と「ラグラン袖」が生まれました。司令官として参戦したイギリス軍のカーディガン伯爵は、負傷兵が着やすいように前あきにしてボタンで留めるセーターを考案。今日の「カーディガン」になりました。

同じイギリスのラグラン男爵は、厳しいクリミアの冬を乗り切るために、あり合わせの素材でオーバーコートを作ろうとしました。戦場のことですから丁寧な仕立ては困難。袖の生地を首の付け根まで伸ばして、袖付けの作業を簡略化。すると袖はゆったりとして負傷兵でも楽に着こなせるように。この仕立ては戦後コートやカジュアルのジャケットなどにも採用され、「ラグラン袖」と呼ばれようになりました。

参考にしました

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リンク

Http://www.sevastopol.org/index1.htm
セヴァストポリやクリミア半島の地図。18、19世紀の写真貴重な写真などもあります。

Http://www.btinternet.com/~james.mckay/
クリミア戦争のピクチャーギャラリー。貴重な図などたくさん。

Http://british-forces.com/fkac/
クリミア戦争。「British-forces.com」から。

Http://www.kelsey-family.demon.co.uk/
クリミア戦争当時の「ロンドンタイムズ」などのテキスト資料。

Http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckafw600/
『男の「装い」一科事典』。「ラグラン袖」のルーツをここで初めて知りました。読むだけで面白いサイトです。日本語。

Http://www.dnai.com/~borneo/nightingal
ナイチンゲールに関するサイトはたくさんありますが、その一つ。

Http://clendening.kumc.edu/dc/fn/
ナイチンゲールの膨大な手紙の一部を公開しています。