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バーミヤンの悲劇 世界史小ネタ第64回

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タリバン政権によって破壊された石仏の無惨な映像が飛び込んできたのは今年の3月。玄奘やマルコ=ポーロが行き来したシルクロードの要衝を今度はアメリカ軍の巡航ミサイルが飛び交おうとしています。

アフガニスタンは国土の平均海抜高度が1200メートルという有数の山岳国。ヒンズークシュ山脈がどかんと中央に座って、北のアラル海に注ぐアムダリア水系と南下するインダス水系を分けています。この連山を縫うように1本の細い道が古代より通じていましたが、ユーラシア大陸を横断しようとする人々にとってそれは避けて通れぬ幹線道路でした。

7世紀の初め、サマルカンドを経てアムダリアを渡った玄奘はヘレニズムの古都バルフ(バクトラ)に到着。バルフはインダス上流まで遠征したアレクサンドロスが滞在し、その死後ギリシャ系バクトリアの都として栄えた町。灌漑が整い、地味豊かで果樹園や葡萄畑が旅人を和ませたとか。張騫は大月氏国のさらに南に位置するバクトリアを「大夏」と表し、司馬遷も「大夏の人口は多く、百余万にも及び、その主都は藍市城と呼ばれている」と記しています。

さらに東南に向かった玄奘は雪の舞うヒンズークシュの山中奥深く分け入りました。すると突然眼前に開けたのが「伽藍は数十カ所、僧徒は数千人」(『大唐西域記』)という仏都バーミヤン。「王城の山の阿に立仏の石像の高さ百四、五十尺のものがあり、金色に輝き、宝飾がきらきらしている」と。その壮麗な姿に玄奘は峠越えの疲れを忘れたことでしょう。滞在は15日間にも及びました。

バーミヤンからさらに東に進むと、カブールを経て、パキスタンとの国境カイバル峠へ。峠を越えると、古代インドのクシャン朝の都ペシャワールに。ここを舞台に、ギリシャ人の彫刻技術と仏教の精神が出会い、ガンダーラ美術が生まれました。この街道が今無数の難民キャンプによって埋め尽くされているとは、誰が予想しえたでしょうか。

10世紀にアフガニスタン南部にガズナ朝が成立すると、イスラム化が加速。仏教遺跡は偶像破壊者たちの標的になりました。とくに目が問題だったようで、バーミヤンの石仏は顔を削られ、石窟内の人物壁画も容赦なく傷つけられました。

アフガニスタンが再び注目されたのは19世紀のこと。インド支配に成功したイギリスは南下をにらむロシアを抑えるべくアフガンへ侵攻(アフガン戦争)。3度の戦乱を経てアフガニスタン王国は20世紀初頭に独立しました。しかし1978年のクーデタで親ソ政権が誕生すると、反政府ゲリラとの間で内戦が激化。89年にソ連は撤退しますが、ゲリラ諸派は暴徒と化して無政府状態に。多くの人々は難民としてパキスタンに逃れる道を選びました。

タリバンとはパキスタンの難民キャンプで運営された神学校の生徒達。故郷を失い、飢えと暴力に怯えながら育った少年たちが、イスラムの理想国家建設をやや歪んだ形でしか思い描けなかったとしても誰が責めることができるでしょうか。 バーミヤンの悲劇の第2弾はこれから始まろうとしています。

参考にしました

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リンク

Http://watan-jp.hoops.ne.jp/index.html
「アフガン女性と子どもを支援する会」のHP。アフガニスタンの現状がよくわかります。

Http://www.purabudaya.com/resources/
バーミヤン遺跡の代表的なホームページ。

Http://www.thewalt.de/afghanistan/
バーミヤンなどアフガニスタンの遺跡を写真で紹介。

Http://www.silk-road.com/toc/index.html
シルクロードに関するサイト。

Http://www.silk-road.com/artl/
玄奘三蔵を紹介。

Http://www.geocities.com/Broadway/
第1次アフガン戦争