水中考古学者フランク=ゴッディオはGPS(衛星を使った位置測定)を駆使して、海底に眠る円柱、石灰岩の石畳、スフィンクスなどを発見、古代アレクサンドリアを蘇らせました。
アレクサンドリアはアレクサンドロス大王が建設し、後にプトレマイオス朝の都として栄えた港町。アリストテレス(大王の家庭教師)の影響で東方世界に強い関心を持っていた大王は、遠征によって、広大な領地を獲得しただけでなく、様々な異文化の蒐集に努めました。この精神を受け継いだプトレマイオス1世はアリストテレスのリュケイオンに匹敵する学術センターを構想。その中核になったのがムセイオンと大図書館でした。
ムセイオン(Museion)とは「ミューズ(ムーサ。ギリシャ神話で、芸術と科学の9人の女神)の神殿」と言う意味で、博物館(Museum)の語源に。地球の周囲を測定したエラトステネスは館長として活躍し、エウクレイデスやアルキメデスもここで学究生活を送りました。
大図書館は、大王の世界制覇の夢を文化レベルで実現した「知のセンター」。世界各国の書物を集め、原書や写本を収蔵し、ギリシャ語に翻訳しました。ホメロスやヘシオドスの完全版、アイスキュロスやソフォクレス、エウリピデスの全戯曲など70万のパピルスの巻物が集められました。全ヨーロッパの蔵書がこれに匹敵する量に達したのは1500年後、活字が発明されてからとか。
有名なのはここでギリシャ語訳された「旧約聖書」。72人のラビが72日間かけて完成させたので「the Septuagint」と呼ばれるように。それだけではない、バビロニアや、ゾロアスター教、そしてインドの諸作品がギリシャ語に翻訳され保存されました。プトレマイオス2世時代にはインドのアショカ王によって派遣された仏僧が活躍したとか。
驚くべきことに、ここではすでにテキスト批判の方法も確立されていました。数種類の写本があった場合、比較、照合を行い、よりオリジナルに近いものを見つけだすわけですが、このとき「petition」
を 「petion」と写し間違えやすいという「重字脱落」の現象などがすでに知られていました。
今から見れば、コレクションの仕方は少々乱暴だったようです。アレクサンドロスを訪れた学者たちには、著作のコピーの拠出を義務付けました。プトレマイオス3世は港に停泊した船の書物を差し押さえ、写しをとって、場合によってはコピーではなく原本のほうを頂戴したとか。これらの巻物の一つ一つには、タイトルや著者の略歴が書き込まれた皮の紐がつけられ、利用者の便が図られました。今の図書館と変わらないですね。
大図書館に唯一対抗できたのは、小アジアのペルガモンの図書館。おもしろくないプトレマイオス朝はペルガモンへのパピルスを禁止。そこでペルガモンでは羊皮紙を本の材料に使用することが広まったとか。
文化の大国もやがて強国ローマの台頭によって脅かされます。カエサルやアントニウスに取り入って延命を計ったクレオパトラですがアクティウムの海戦に敗れて自殺。ローマでキリスト教が普及すると、大図書館も迫害を受け、コレクションの大半を喪失。7世紀アラブ軍が侵入したときには、すでに大図書館の面影はなかったようです。
参考にしました
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