20数年前の西安郊外。始皇帝の地下軍団が2千年の眠りから醒めて地上に姿を現しました。敵を見据える兵士の眼光は鋭く、青銅剣は殺気を帯びて冷たく輝いていました。
『史記』には「兵馬俑」の記述がなく、これが「世紀の大発見」とみなされるまで数ヶ月を要しました。話題になったのが兵士の表情の多様さ。彫刻にはないリアリティに誰もが驚嘆。フランスのシラク元首相は「世界の8番目の不思議」と名付けました。
戦国時代に終止符を打ったのは「七雄」の後進国秦。商鞅の変法などで財力、軍事力を蓄え、王「政」の前3世紀に天下統一を果たしました。「政」は「始皇帝」を名乗りましたが、広大な中国で統一王朝が繰り返し生まれたのはこの「皇帝」の権威があったから。現代中国でもわがままな一人っ子を「小皇帝」などと言いますね。
20世紀のドイツで発明された「クロムメッキ」がすでに青銅剣に施されていたことからもわかるように、地下軍団を支えた技術のレベルは想像以上に高いものでした。窯跡は見つかっていませんが、等身大の人や馬の陶器を焼くこと自体が大変な技術を要したとか。
「俑」とは人を埋葬するとき一緒に添える人形のこと。「兵馬俑博物館」のホームページは「立射俑」、「跪射俑」など「弩(ど)」や「弓」を射る兵士を紹介しています。「弩」とは銃床のような台を有する弓のことで、多くは青銅製の引き金がついていました。普通の弓に比べ飛距離や貫通性に優れ、重さ100グラムという鏃を使えば、相当な殺傷能力を発揮したとか。
すでに発掘の終了した2号坑の一角にはこの弓兵部隊が睨みを利かせ、戦車部隊と戦車騎兵混合部隊を側面から援護する形に。まだ2割ほどしか発掘が進んでない1号坑の大半は戦車歩兵混合部隊ですが、合わせて約100台の戦車が軍編成の中核をなしていました。当時の戦争の様子が目に浮かびますね。
始皇帝陵の東斜面で1980年発見されたのが「銅車馬」。2分の1の縮尺ながら、3500点近い部品からなる精巧なもの。ドーム式の屋根の華麗な文様や金銀をふんだんに使った装飾は青銅器の常識を覆しました。当時の冶金技術がいかに高かったか証明しています。
とはいえ、兵馬俑は始皇帝陵全体から見ればほんの一部。始皇帝陵の下には、兵馬俑の13倍の広さと50メートルの深さを持つ地下宮殿が未盗掘のまま眠っているとか。いつになるかわかりませんが、このタイムカプセルがこじ開けられたとき、中国史は大幅に書き換えられるかもしれませんね。
参考にしました
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秦の始皇帝―伝説と史実のはざま | |
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リンク
Http://www.bmy.com.cn/index.htm