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フーリガンとサッカー 世界史小ネタ第57回

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19世紀末のイギリス。ネッカチーフを首に巻き、ブーツを履いた不良少年たちがロンドンで大暴れ。彼らはいつしか「フーリガン」と呼ばれましたが、なぜラグビーでなくサッカーと結びつくようになったのでしょうか。

「Hooligan」の起源には諸説が。暴力グループのリーダーの「パトリック=フーリガン」(アイルランド人)から来ているとか、アメリカあるいはオーストラリアの言葉だとか。いずれにしても、常軌を逸した若者たちを他国語で表現したところに、イギリス人の苦しい思いが見えますね。

19世紀、7つの海を支配した「大英帝国」は繁栄の絶頂期。食卓には「砂糖入り紅茶」など外国産の食材が並び、デパートが誕生し、旅行などのレジャーが大流行。サッカーというスポーツがテニス、競馬、ゴルフ、ボートとともにこの時代のイギリスで誕生したのも、「繁栄」と「ゆとり」のなせるわざでした。

イタリアのカルチョ(calcio)など、サッカーの起源についてはいろいろな説が。しかし、革袋や豚の膀胱を集団で蹴り合う肉弾戦が、洗練された競技スポーツへと変身を遂げたのは、イギリスのパブリックスクールという舞台があったから。パブリックスクールとはオックスフォード大やケンブリッジ大に進むエリートたちの学校。将来の国のリーダーに、フットボールやクリケットを通して「フェアプレー」や「チームワーク」を学ばせようという風潮がルールづくりを加速させました。

しかし、同じパブリックスクールのイートン校とラグビー校で行われていたフットボールのルールの違いが、1863年の「フットボールアソシエーション」とその8年後の「ラグビーフットボールユニオン」の組織分裂に発展。今日のサッカー(アソシエーションフットボール)とラグビーになったことは有名な話ですね。

アマチュアリズムにこだわり、紳士スポーツ路線を守ったラグビーにたいして、サッカーは1880年代に急速にプロ化しました。1888年には、アストン・ビラなど12球団が参加して最初のリーグ戦が行われ、見るスポーツ、観客を楽しませるスポーツへと転換しました。

「フーリガン」が登場したのはまさにこのころ。荷物運びや、ドアボーイなどの仕事で小銭を稼ぐようになった貧しい青少年たちはサッカー場に吸い寄せられました。彼らにとってサッカーは、パブリックスクールの生徒達のように心身を鍛えるためのものではなく、アルコールをあおりながら観戦し、大声で応援し、一日の鬱憤を晴らす場だったのです。

没落したローマ市民たちの慰めものになった「グラディエーター」同様、世紀末のサッカーは上層階級への道を閉ざされた人々の不満を吸収する場になりました。もって行きようのないな激しい怒りを、時として「暴力」として爆発させたとしても、それがサッカー場周辺に限られているかぎり、大英帝国は大いに安泰だったのです。

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リンク

Http://worldsoccer.about.com/cs/fanv
「サッカーと暴力」に関するサイトを集めた「about」のページ。英語。

Http://www.sirc.org/publik/football
フーリガンを幅広い角度から本格的に調査、論じているサイト。英語。

Http://www.arca.net/db/events/calcio.htm
イタリアのカルチョの紹介。

Http://www.mega.it/ita/gui/monu/xcalcio.htm
同じくカルチョを紹介しているサイト。

Http://allabout.co.jp/sports/
サッカー関連サイトを集めた、「allabout」の日本語のサイト。

Http://striker.room.ne.jp/
ここの「サッカー歴史博物館」は参考になります。日本語。