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客家の過去・未来 世界史小ネタ第52回

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故郷を追われたが故にいっそう強い絆で結ばれた中国の客家たち。もともとは戦乱の華北を逃れて南遷した難民たちの末裔。福建省、広東省の山間部に住みつき、「よそもの」という意味で「客家(ハッカ)」と呼ばれました。

新天地での過酷な生活の中で彼らを支えたのは故郷への郷愁と誇りでした。客家の言葉は唐・宋時代の古い中国語をよく保存し、同じ中国古語を借用した日本語によく似ているとか。例えば「イチ、ニ、サン、…」に最も近いのが客家語の「イッ、ニー、サーム」。千は「ts'en」で、万は「man」。日本語の「木」は北京語で「樹」ですが客家語では「木」、「行く」は北京語では「走」になりますが、客家語で「行」に。

彼らのルーツを証明する「族譜」は最も大切な宝物。一族は「土楼」という土でつくった集合住宅で共同生活し、敵の襲来に備えました。赤土に米のりや鶏卵の白身などを混ぜ合わせると、コンクリートにも劣らない土壁に。客家円楼は数世紀の風雪にたえることが出来たとか。

客家の女性は、山間部の畑仕事もこなす働き者。「纏足」など無縁でした。1850年代、広東省の客家だった洪秀全は「太平天国」を建設しましたが、これを支えたのが10万人の客家の女性兵士たち。「天朝田畝制度」が男女対等の均田制だった理由がよくわかりますね。

同じ広東省の客家孫文は、多くの客家の華僑たちの資金を元手に辛亥革命を起こしました。「宋三姉妹」の宋一族もやはり客家でした。

1920年代国民党の弾圧に苦しんだ共産党は江西省の山岳地帯に拠点を移しました。ここは客家の居住区で、革命の聖地「井崗山」で後に知られるように。「長征」の出発点でもありました。

教育熱心なことでも客家は群を抜いていました。明・清時代の貧しい山間僻地に、科挙合格者が異常なくらい多く出ました。革命後もこの地域では、子弟思いの華僑たちの送金で場違いなほど立派な学舎が立ち並んだとか。長征に参加した鄧小平はフランス帰りの客家でした。

李登輝(台湾)やリー・クワン・ユー(シンガポール)などの優秀なリーダーが育ったのも客家の教育のおかげでしょう。1999年第1回客家文化祭が、客家住民の多い深せん・竜崗で開かれました。客家のネットワーク抜きに東南アジア経済の今後を予測することは不可能でしょうね。

参考にしました

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リンク

Http://www.sungwh.freeserve.co.uk/sa
客家に関する総合ページ。

Http://member.nifty.ne.jp/Gat_Tin/
客家語など中国語の方言に関するリンク集。

Http://www.chinalanguage.com/Hakka/
客家語の言葉、フレーズの一覧。

Http://www.zioncity.com/fromete/tulou
客家円楼。その内部まで見ることが出来る。

Http://www.asiawind.com/hakka/index.htm
客家に関する英語のサイト。