15世紀半ばグーテンベルクの活版印刷術は、本の大量生産を可能にし、活字人間を生みました。でも印刷革命が、活字の故郷アジアではなくヨーロッパで起こったのはなぜか。西欧中世の出版事情にその謎を探ります。
よく知られているように、11世紀の中国で素焼きの活字がつくられ、14世紀の後半の朝鮮半島で世界最初の金属活字が使用されました(パリ国立図書館)。しかしアジアに情報革命のうねりを起こすことは出来ませんでした。
古代地中海の記録媒体として長く使われたのはエジプトのパピルス。ギリシャ時代を経てローマ時代まで残りました。長くつなぎ合わせて巻物(papyrus
roll)として使用しました。Leaf 状の羊皮紙がこれにかわったのが紀元4,5世紀。写本(codex)と呼ばれ、パラパラとめくりながら好きなところで開ける点が画期的だったとか。テープとCDの差ですね。原料の羊皮紙が高くついたようですが、中国伝来の紙が普及する14世紀まで続きました。
印刷という技術がまだない頃、これらの媒体に文字を刻んだのは人間の手でした。ローマ時代は奴隷の仕事だったそうですが、西欧中世では修道僧の努めの一つに。彼らは修道院でひたすらテキストを写し、学び、そして祈りました。一人で1年に平均サイズの本を4分の3くらい仕上げることが出来たとか。修道院は出版社兼印刷会社のようなものだったんですね。
12世紀になると都市では文房具商が注文に応じて本を作るようになりました。イタリアの卸売商は写本を200部、別の写本を200部、また別の写本を400部発注した、と記録されています。筆写本(manuscripts)とはいえかなり普及していたことがわかりますね。
おもしろいのは筆写の作業の変わりよう。初期の修道僧たちは筆写するとき声を出して読んでいました。なぜなら文章には単語間の区切りがなく、声に出さないと何が書いてあるかわからなかったからです。単語と単語の間に空白を入れるようになったのは、8世紀のイングランドが初めてだとか。これで「目で読む」ことが可能になり、修道院の工房も静かになりました。それだけではない、章の設定、章ごとの表題、カラーマークされた段落など、「目で読む人」を前提とした本づくりが加速します。
これらの環境の成熟が発明家の登場を促しました。グーテンベルクの「42行聖書」のカラフルな装飾は、活版印刷術が、筆写本(manuscripts)をそのままに真似たことの名残です。彼がしたことは「プレス」を使って人の作業を少し助けただけ。本を「目で読む」ことに慣れた人々がいたから、文字のもつ想像力に社会が気づき始めていたから、堰を切ったように印刷革命が進んだのではないでしょうか。
参考にしました
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リンク
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