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中国にかぶれた宮廷人 世界史小ネタ第49回

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赤い灯籠、黒い漆塗りの壁、そして象眼を施した家具。18世紀の中ごろ、ヨーロッパの宮殿では次々と「中国の間」がつくられ、王侯貴族は争って染付や白磁、漆器を買いあさりました。この奇妙な「中国ブーム」(シノワズリ)がヨーロッパにもたらしたものとは。

ブームの中心はフランス。晩年のルイ14世はベルサイユの一角に「陶器のトリアノン」を建て、ルイ15世の愛妾であったポンパドール夫人は猫足家具に代表される優雅で繊細なロココ文化の中心に。ヴェルサイユの新しい主人マリー・アントワネットはプチ・トリアノンに中国風庭園を取り入れました。

フレデリック2世がヴォルテールと議論を交わしたサンスーシ宮殿の「文庫の間」やマリア・テレジアの時完成したシェーンブルン宮殿の「古い漆の間」(Vieux-Laque Room )は「シノワズリ」の広がりを証明しています。

なかでも中国磁器へのあこがれはすさまじいほど。白磁の首長の水さしやコバルトブルーで染め付けられた皿など「宝石」に等しい価値があったとか。ザクセン公アウグスト2世がドレスデン郊外のマイセンでヨーロッパ初の磁器生産に成功したのが1700年代初頭。技術はたちまちウィーン、ヴェネチア、コペンハーゲンに拡散し、ポンパドール夫人は1740年にセーブルで磁器生産にこぎつけました。

「シノワズリ」は庭園のあり方も変えました。それまではシンメトリックな生け垣や噴水の幾何学的な庭園が主流でしたが、18世紀初頭のイギリスで、中国庭園にヒントを得た風景式庭園(Landscape Gardens)が生まれました。森やなだらかなスロープを取り入れ、曲がりくねった小径や小川を配置した庭園は、フランスで「Jardins Anglo-Chinois(Anglo-Chinese gardens)」と呼ばれ、以降英国式庭園の主流になりました。

なぜ突然の中国ブームだったのでしょうか。ひとつの理由として、フランス人宣教師たちが書き送った『イエズス会士中国書簡集』の出版が考えられます。これを読んだヴォルテールは「科挙」の合理性に驚嘆し、朱子学を賞賛しました。ケネーは中国の経済構造の研究から「経済表」を生み出しました。ライプニッツ(微分積分の祖)が「易」の思想から二進法を思いついたことを含めると、シノワズリはヨーロッパ思想にも少なからぬ影響を与えたことになりますね。

中国ブームが去った19世紀には、「ジャポニスム」が一世を風靡しますが、それはまた別の機会に。

参考にしました

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リンク

Http://www.sinorama.com.tw/jp/9606
台湾の中国文化誌「光華」のホームページから。ヨーロッパ宮殿の「中国の間」などを紹介。日本語可。

Http://www.smartweb.fr/versailles/in
ヴェルサイユ宮殿の庭園、プチ・トリアノンなどを360度回転で見ることが出来る。

Http://www.spsg.de/f_htdoc/sanph
サンスーシ宮殿。「文庫の間」などロココ文化の粋を集めている。

Http://www.schoenbrunn.at/e/homepage.html
シェーンブルン宮殿。マリア・テレジアが亡くなった夫のためにつくった「Vieux-Laque Room」。北京から取り寄せた黒い漆のパネルが部屋一面を飾っている。

Http://www.koransha.co.jp/umi/index.htm
深川正氏の「海を渡った古伊万里」から。伊万里とマイセンの関係など。