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鄭和の大航海 世界史小ネタ第46回

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コロンブスが新大陸を発見する100年前、それに匹敵する「アジア大航海時代」があったことをご存じでしょうか。明の艦隊によるアジア・アフリカ遠征です。率いたのは宦官鄭和。

鄭和のもとの姓は「馬」で、これはムハンマドを意味するイスラム教徒の姓。1371年の生まれで、元の時代に中央アジア方面からから雲南に移り住んだ人々の子孫だとか。明朝の成立によって一家の運命は急転、少年鄭和は捕らえられて宦官にされてしまいます。

彼が仕えたのは、朱元璋の第4子で当時北京にいた燕王。燕王は実力で3代目皇帝の地位を奪い取り、永楽帝と名乗ります。この政変で鄭和はずいぶん活躍したようで、帝の絶大な信任を獲得。身長180センチ、腰回り100センチの堂々とした体躯の鄭和に、永楽帝は南海諸国への朝貢貿易促進の航海を命じました。

1405年第1回目の航海がスタート。8000トンクラスの「宝船」62隻に分乗した乗員は28000人近く。コロンブスのサンタマリア号は185トンですから比較になりませんね。蘇州を出発して、チャンパ(現ベトナム)、バレンバン(現スマトラ島)、マラッカなどを経由して、スリランカ、カリカットまで足を伸ばしました。あまりの船団の大きさに度肝を抜かれた国々は否応なく朝貢貿易の申し入れを受け入れました。

マラッカの北の小高い丘は「ブキット・チナ (Bukit cina) 」と呼ばれ、かつてのマラッカ王に嫁いだ明の公主のために建てられた館の跡。近くには「三宝公」つまり鄭和を祀る道教寺院もあるそうです。東南アジアの華僑のなかには、このとき水夫として乗船していた中国人の末裔だと信じている人たちもいるとか。

第4次以降の遠征では、インド洋を抜け、ペルシャ湾のホルムズやアラビア半島にまで達しています。メッカでは絹や宝石を献上。さらにアフリカ東岸を探検した一隊はケニヤで不思議な動物を発見しました。それはソマリ語(ソマリアの言語)で「ギリン」と発音する首の異常に長い動物。これは中国の伝説上の一角獣「麒麟」のことではないか。色めき立った船員たちによって船に乗せられ、永楽帝への土産になりました。

大遠征の背景には、大型ジャンク船や羅針盤など宋代以降の中国の造船・航海技術のめざましい発展がありました。イギリスの科学史家ジョセフ・ニーダムによれば明初の中国の造船能力は世界一で、1420年頃に明が所有した船の総数はヨーロッパ諸国の合計に勝るとか。

しかし、永楽帝が亡くなると、財政難もあって、伝統的な海禁論が復活。船のマストは1本に制限され、唐代の皇帝の墓の外国人官吏像の首が切り落とされました。マラッカはヨーロッパ人の支配下に入り、倭寇が中国沿岸を荒らしまわる時代に。

もし中国が鄭和の時代の海軍力を維持できたなら、400年後のアヘン戦争はなかったかもしれませんね。

参考にしました

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リンク

Http://jp.traveloyunnan.com/index.htm
雲南の旅行情報。「春秋昆明」のページに「鄭和公園」あり。日本語可

http://www.nsknet.or.jp/~tsunetom/b
「ミケパパのカフェ・アジア」。ここにマラッカ王国の記述あり。