目で見る世界史 TOP 






リバプールとマンチェスター 世界史小ネタ第40回

関連する小ネタ
1
2
3
4

関連するリンク
1
2

リバプールとマンチェスター。サッカーファンにとっても、ビートルズファンにとってもなじみの名前ですね。大英帝国誕生に深く関わった二つの都市の因縁とは。

マンチェスターは産業革命の発祥の地でリバプールはその外港として発展した、と教科書などでは説明されますが、それは19世紀以降の話で、都市としての歴史はむしろリバプールの方が古いのです。

小さな漁村にすぎなかったリバプールは、17世紀末から突如膨張し始めます。理由は「奴隷貿易」。アフリカの奴隷を買い付け、新大陸に売り飛ばす。このビジネスのうまみを知った村の人々はたいした持ち合わせがなくても争って奴隷商の看板を掲げたとか。村は瞬く間にフランスのマルセイユやナントと並ぶ、有数の奴隷貿易港に発展しました。

リバプールの町には当時をしのばせる地名がたくさん残っています。「Bold Street」 はJonas Bold、「Cunliffe Street」はFoster Cunliffeという代表的な奴隷商にちなんだ名前。「Goree」は 奴隷取引所があった場所ですが、奴隷の供給元であった西アフリカのセネガルの地名。「Jamaica Street」は1655年に力づくでイギリスが植民地にしたカリブ海の砂糖の最大の供給地。リバプールを出航した奴隷船の最終目的地でもありました。

19世紀に禁止されるまで、この町は奴隷貿易によって潤い続けました。蓄えられた莫大な富はどうなったか。そう、近郊のマンチェスターという小さな「market town」に、一大工業地帯を建設するための資金になりました。インド、新大陸産の綿花がリバプール経由でマンチェスターに運ばれ、綿織物に加工されて、再びリバプールから世界中へ輸出されました。1830年には両者を結ぶ世界初の営業鉄道路線が開通。イギリスを「世界の工場」に押し上げたのはリバプールの奴隷商人たちであった、といえば言い過ぎでしょうか。

18世紀中頃のリバプールの町に、John Newton という人物がしばらく住んでいました。彼は奴隷船の船長としてならした男ですが、ちょっとしたきっかけから奴隷制度に疑問を持ち、バプチスト系教会の熱心な牧師となりました。その彼が熱き思いを込めて作詞したしたのが「アメージンググレイス」。今では知らぬもののないゴスペルの代表曲になりました。

参考にしました

奴隷と奴隷商人
ジャン メイエール Jean Meyer 国領 苑子

創元社
1992-06
売り上げランキング 138,811


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

リンク

http://www.liverpool2007.org.uk/ind
リバプールの歴史

http://www.fortunecity.com/meltingpo
これもリバプールの歴史

http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/sl
奴隷貿易全般について解説しています。

http://kfn.ksp.or.jp/~gauche/Lang
「アメージンググレイス」の由来を説明しています。日本語

http://www3.nb.sympatico.ca/mccorp/no
ビートルズなどの「リバプールサウンド」の歴史的背景に触れています。