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「天地創造」から世界史へ 世界史小ネタ第37回

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ミケランジェロは、滴り落ちる絵の具と闘いながらシスティナ礼拝堂の天井に、「天地創造」を描きました。神がこの世をつくり,アダムとイブを生み,彼らを楽園から追放し,大洪水を起こしノアの一家だけ箱船で脱出させた,という一大スペクタクル。それはルネサンス期のヨーロッパ人の歴史観そのものでした。時代の先端を行っていたはずのイタリアの芸術家ですら「天地創造」を本当の人類の歴史だと信じて疑わなかったわけです。
 

岡崎勝世氏によれば(『聖書VS.世界史』 講談社新書)、17世紀のペタヴィウスまで、キリスト以前の出来事は「創世紀元」、すなわち旧約聖書の「天地創造」に基づく年号を用いて表されていました。ちなみに、ノアの大洪水は1656年、出エジプトは約2500年頃、イエスの生誕は約4000~5000年と計算されていることが多いようです。現在の表現で言い直すと、アダムの誕生はB.C.5000頃というわけです。

旧約聖書を歴史的事実とするキリスト教的歴史観はローマ時代に始まります。中世ヨーロッパでは安泰であったこの歴史観も、ルネサンス以降、当然のごとく批判にさらされます。しかし、古典研究から判明したエジプト史の「古さ」や、大航海時代がもたらした中国史の「古さ」との矛盾をごまかしつつ、近代合理主義の波もかき分け、18世紀初頭まで生き残ります。あのニュートンでさえ(死後出版ですが、『改訂古代王国年代学』という歴史書を書き残しています)、天地創造やノアの洪水が歴史的事実であるという認識に立っていました。

現代の歴史学に通ずる決定的な第一歩を踏み出したのは、ドイツの歴史学者ガッテラーでした。彼は、1785年に出版したその著書で、「創世紀元」を使用し、天地創造やノアを叙述しながらも、それらを「伝説」と位置づけました。次に、「創世紀元」にも引導が渡されます。やはりドイツの歴史学者であるシュレーツァーが、B.C.を使って叙述した『世界史』(1785年)を出版し、天地創造を完全に否定します。こうして、19世紀、「世界史」は「科学」へと転換していったのです。(ten-si)

参考にしました

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リンク

http://www.christusrex.org/www1/sistine/0-Tour.html
システィナ礼拝堂