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トルコ行進曲 世界史小ネタ第3回

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1453年オスマン軍がコンスタンチノープルを陥落させると、ヨーロッパは深い衝撃に包まれました。「防波堤」のようにヨーロッパを守っていた砦がついに崩れ落ちたからです。トルコ勢がバルカン半島を制覇し、ハプスブルク家のウィーンに迫ったのは、1529年のこと。

勇猛果敢で知られたオスマン軍の主力はイエニチェリと呼ばれた白人兵でした。彼らの多くは異教徒出身者でしたが、運動能力を試す試験にパスすると、スルタン直属の兵士に引き立てられました。名もない農民の子供がエリート軍人に、果ては宰相に昇格する道が開かれていたオスマン社会ならではの話ですね。

オスマン軍の行進はオーストリアの人々を震え上がらせました。とりわけ先頭をゆくイェニチェリの軍楽隊が打ち鳴らす勇壮なリズムとメロディは、人々を恐怖と絶望のどん底につき落としました。泣く子も黙る「恐ろしいトルコ人」のイメージはこうしてヨーロッパ中に流布されたようです。

何世紀か後、モーツァルトやベートーベンが「トルコ行進曲」を書きました。人々の記憶から恐怖感が薄れ、曲の持つ優れた音楽性だけが強く印象に残るようになったからではないでしょうか。

10万のオスマン軍は1ヶ月に渡ってウィーンを包囲しますが、結局城壁を突破できず、兵を引き上げました。

150年後、再びオスマン軍はウィーンに兵を進めました。しかし今度は市民らも参加したウィーン軍が反撃に出て、オスマン軍は敗走します。

このときオスマン軍が残していった緑色の豆が、ウィーンナーコーヒーの起源になりました。(ただし、ウイーンにはウインナーコーヒーというメニューはないそうですが)

ウィーンでは戦勝の記念にトルコ国旗の三日月のパンを焼くことが許されました。トルコをパンにして食ってしまおうというわけですね。このパンはマリー=アントワネットとともにフランスに渡り、「クロワッサン」(三日月という意味)になりました。

参考にしました

 

リンク

  1. オスマン時代のイスタンブール
    Http://www.exploreturkey.com/ist_otto.htm
  2. イエニチェリの軍楽隊の行進曲。とくに「Ceddin Deden」は聞いたことがあるような。
    http://www.kultur.gov.tr/english/k
  3. ウィーン包囲のようすが絵でわかります。
    Http://campus.northpark.edu/history
  4. オーストリア史。ハプスブルク史。
    Http://www.emulateme.com/history/