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ベラルーシとウクライナ 世界史小ネタ 第28回

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同じロシア人でありながら、ソ連崩壊後、別々の道を歩んだベラルーシとウクライナ。ベラルーシ(「白いルーシ」の意味)の「白い」には「free」というニュアンスもあるそうで、「タタール人に征服されなかったルーシ」の意味だとか(異説もあります)。どちらも民族形成の原点と言うべき時代があったはずですが、それはいつ頃なのでしょう。

「ルーシ」とはもちろん「ロシア人」のことですが、元は、9世紀頃この地にやってきたバイキングの部族名。バルト海から黒海(その向こうのコンスタンチノープル)に抜ける交易ルートを開拓した北方ノルマン人がスラブ人を糾合して両国の土台を作りました。ベラルーシの首都ミンスクは地図で見ると、ワルシャワとモスクワのちょうど中間ですから、南北と東西の交通の要衝というわけですね。

ウクライナ人のルーツは比較的はっきりしていて、9世紀から13世紀まで続いたの「キエフ公国」で間違いないでしょう。キエフ公国は北のスモレンスクやノブゴロドまで勢力を伸ばし、ウラディミル1世のとき誰よりも早くギリシャ正教を受け入れましたから、のちのロシア系民族の母体になった、と言ってもいいでしょう。

一方ベラルーシはどうか。現在のベラルーシの北西に12,3世紀頃起こった「リトアニア」という小さな国に遡るようです。今のリトアニア人とは少し違って、スラブ系とバルト系の混合だったようですが、周辺諸国を次第に飲み込み、「リトアニア大公国」と名乗るように。1386年、リトアニア公 Yahaila (Jagiello)は、ドイツ騎士団の侵入に対抗するために、ポーランド女王と結婚して、連合国家を作りました。「ヤゲウォ(ヤゲロ)朝」ポーランドの誕生です。

この時代がベラルーシ文化の黄金時代だったようです。プラハで最初のベラルーシ語聖書が出版されたのが1517年。ルターのドイツ語聖書よりも早いですね。ロシアやウクライナの教会文書も多くベラルーシ語から翻訳されたとか。そう言えば、かのコペルニクスはポーランド人でしたが、このヤゲウォ朝時代の人でした。もう一つ大事な点は、ポーランド王国との連合を維持するためにリトアニア公がとったカトリックへの改宗政策でした。ブリタニカによると、現在の多数のベラルーシ人はカトリック教徒ということになっており(少数説もある)、ここがウクライナとの決定的な違いになっています。

18世紀に入ると苦難の時代を迎えます。ポーランド分割が始まるとベラルーシは完全に消滅し、公の場でのベラルーシ語が禁止されます。第一次大戦後に念願の独立を果たしますが、それもつかの間、1921年のソ連・ポーランド間の戦争により、東半分はソ連領に、西半分はポーランドに編入されてしまいました。

独立した今も高い失業率とインフレに苦しめられているベラルーシですが、民族の誇りは誰よりも強く持ち続けているようです。 

参考にしました

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リンク

http://plasma.nationalgeographic.com/mapmac
ベラルーシの現在の地図です。

http://www.hf.uib.no/Andre/vesti/
簡単なものは他にもありますが、これは詳しいです。上の文のネタ元です。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoa
キエフルーシに関する日本語のページ。ウクライナ関係のHPはたくさんあります。