ビザンツ(東ローマ)帝国が古代から中世の終わりまで生き延びたことは世界史の「奇跡」と言われています。島国ならいざ知らず、諸民族が激しく交錯する地域で、1000年間国家を持ちこたえさせたノウハウとは。
帝都コンスタンティノープルは、南のマラルメ海と北の金角湾に突きだした自然の要害。西の半島の付け根には3重の城壁が設けられ、陸路からの侵入を阻みました。フン族も、スラブ人も、ブルガリア人も高さ10数メートルの城壁の前で立ちすくんだとか。
6世紀の中頃、ユスティニアヌス帝のとき、中国から養蚕技術が伝わりました。伝説によれば、二人のネストリウス派僧侶が、産業スパイさながらに竹の杖の中に蚕の卵を隠して持ち帰ったとか。軽くて丈夫で光沢のある絹は繊維の王様。どの国にとっても需要は高く、貨幣としての価値もありました。ビザンツは12,3世紀になるまで、ヨーロッパへの絹の供給を独占し続けました。
西欧諸都市の人口がせいぜい5万人ぐらいのとき、コンスタンティノープルは100万人近くに達していたとか。第4回目十字軍に従軍した歴史家、Robert
De Clari は、ビザンツは世界の富の3分の2を蓄え、多くの病院、孤児院、貧窮院、そして大学を持っていた、と記録しています。
聖ソフィア大聖堂はビザンツを代表する巨大建築ですが、これと同規模のサン・ピエトロ大聖堂が完成したのはそれから1000年後。街の住人の多くが読み書きできたようで、識字率の高さは世界一。どの西欧諸都市よりも早く「市民社会」を謳歌していたようです。
洗練された外交手腕もこの国ならでは。帝国を脅かす民族が現れると潤沢な資金で懐柔したり、別の民族をけしかけてこれと喧嘩させたり。鼻息高くエルサレムに乗り込んだ十字軍など、ビザンツに上手に利用された典型的な例だとか。このへんに「最長不倒」記録の秘密がありそうですね。
ヨーロッパで流布されている「狡猾なビザンツ人」というイメージこそ、彼らに対する最高の褒め言葉なのかもしれません。
参考にしました
コンスタンティノープルの陥落 | |
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生き残った帝国ビザンティン | |
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リンク
Http://www.angelfire.com/wy/svenskilHttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-
コンスタンティノープルからの使者さんの「ビザンティン帝国同好会」。日本語
Http://www.silk-road.com/toc/index.html
シルクの歴史が触れられている。
Http://www.byzantium1200.org/
コンピューターグラフィックで再現したビザンツの遺産。
Http://www.fordham.edu/halsall/byzantium/
ビザンツ関係のリンク多数。