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長江文明と夏王朝 世界史小ネタ 第18回

私たちにとって長い間中国文明イコール黄河文明でしたが、近年の中国考古学の発展はこうした常識を覆そうとしています。長江上流の四川三星堆(さんせいたい)遺跡は戦前からの遺跡ですが、1980年代に入って風変わりなデザインの巨大な青銅器が多数発見されました。長江下流の河姆渡(かぼと)遺跡もこうした長江文明の一端をしめすものとして脚光を浴びています。

長江河口の南、杭州湾の入り口付近に、かつて遣唐使を受け入れた寧波の古い港町があります。1973年、ここからさほど遠くない河姆渡と呼ばれた沼沢地から、鋭利にとぎすまされた石器や骨角器、漆を塗ったお椀や陶器類など多数発掘されました。稲の耕作を示す種籾や高床式の住居跡まで見つかったこと。4万平方メートルという広い遺跡全体が一つの集落構造をなしていること。そしてこの遺跡が7000年前という、黄河文明に匹敵するかあるいはそれ以上に古い時代にまでさかのぼれること、など多くの点で衝撃を与えました。

司馬遷は『史記』のなかで、「本紀」を「五帝」から起こし、「夏本紀」「殷本紀」「周本紀」と続けました。「ノアの箱船」と比較されるのが夏王朝の始祖禹王の「洪水」伝説。禹は魚や亀の形をした水の神様で、各地を回って山を平らげ、川を埋めたり、水の流れを変えて洪水を治めたといいます。彼は浙江省の会稽山に巡行し、ここで諸侯を集め、なくなりました。紹興には「大禹陵」が残されていて、今も参詣者が絶えません。河姆渡遺跡はこの会稽山にほど近いところにあるのです。

先日行った上海博物館で気づいたのですが、中国では、すでに夏王朝は商(殷)王朝に先立つ王朝としてその存在を公式に認めています。多くの簡体字のHPもそれに倣っています。殷墟でおびただしい数の甲骨文が見つかったのが19紀末。華南系と推定される夏王朝の実在を証明する大発見がそのうち発表されるかもしれませんね。

参考にしました

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リンク

  1. 河姆渡遺跡博物館
  2. 早稲田大学長江流域文化調査隊のレポート